さーぶろぐ(仮)

28歳ついに2度目の退職、無職の世界に舞い戻ってきた。そして29歳、再び社畜の世界へ。働くの嫌い、人嫌い、身軽に生きたい、生きるのめんどい...そんなニートあがりのアラサー女が色々語るブログ。クズ女でもなんとか生きてるよ

「およげたいやきくん」って大人になってから聴くと泣けるよな

子供の頃は、「変な歌だなぁ」とか、「鯛焼きに自我なんかないし、おじさんと喧嘩もできないし、海に行けないし、泳げないし、海で生きていけないし」くらいにしか思ってなかった。

なんで450万枚?も売れたのかさっぱりだった。

ちなみに、私はこの曲をリアルタイムで聴いていた世代ではないが、私が子供の頃は「歌の大辞テン」という、今週のランキングと昔のランキングを紹介する番組がやっていて、
そこでこの曲をよく聴いていたのである。

 

ちなみに「だんご三兄弟」はもろに世代である。

もう、妖怪ウォッチとかピコ太郎とかの比じゃないくらい流行ってたぞ。

私と同世代なら確実に盛り上がれる話題であることは間違いない。

 

話を戻す。

しかし、「およげたいやきくん」は、そんな簡単な薄っぺらい歌じゃないのである。

もう私は子供の頃の自分を殴りたい。

 

「毎日毎日僕らは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうよ」

子供の頃の私:「いやww食われて終わりなんだから毎日とかないよねww」

大人になった私:「本当だよ・・・毎日毎日時間に縛られて、ただ神経すり減らして仕事するだけだよ・・・」

 

まず多くの人が共感するのがこの最初の一文でしょう。

子供の頃には「変な歌ww」としか思わないけど、大人になると切実に分かる、深い一文だったんですね・・・。

 

「ある朝僕は店のおじさんと喧嘩して海に逃げ込んだのさ」

→ついに仕事が嫌になり辞め、社会の奴隷、会社の奴隷から解放された。

 

「初めて泳いだ海の底 とっても気持ちがいいもんだ」

→初めての仕事をしない日常。ストレスもなく、開放感ですがすがしい。

 

「お腹のあんこが重いけど 海は広いぜ心がはずむ」

→お金は入ってこなくなるし金銭面の心配とかはあるけど、自由は素晴らしいぜ!」

 

「桃色珊瑚が手を振って 僕の泳ぎを眺めていたよ」

→自由な世界が僕を迎え入れてくれた!

 

ここまでが一番です。

テレビ番組で放送されるのはだいたいここまでですね。

リアルタイムではどうだったのか知りませんが・・・

ここまで聴いたら、「呪縛から解き放たれ自由を手に入れたたいやきくん」の幸せな歌です。

私もそう思っていました。

 

しかし、大人になってこの曲の真意が分かるようになり、曲を全て聴くと、それは全く違うのです。

そして世の中の現実がそこに・・・。

 

二番

「毎日毎日楽しいことばかり 難破船が僕の住処さ」

→自由な縛られない生活はストレスも無くなんでも楽しいですからね。

難破船が~は、あんまり良いところには住めない、あるいは、社会からは取り残されたところにいるという描写ですかね。

 

「ときどき鮫にいじめられるけど そんなときゃ そうさ逃げるのさ」

→まぁいいことばかりではないですからね。自由はあるけど色々デメリットもある。

ちなみに私個人的には、鮫にいじめられる=役所「税金・年金・保険払え」 そんなときゃそうさ・・・=お察しください。

ちなみに今回は税金は払ってますよ!前回は結局逃げ回って再就職してから払いましたけど・・・

 

「一日泳げば腹ペコさ 目玉もクルクルまわっちゃう」

→生きてるだけでもエネルギーは必要、お金はかかる・・・

 

「たまにはエビでも食わなけりゃ 塩水だけではふやけてしまう」

→何かしらは食わないと無理。水だけじゃ無理ですし・・・

 

「岩場の陰から食いつけば 

それは小さな釣り針だった

→お金がないと食えない、仕事を探し始め、そこで見つけたものが・・・

 

ぎゃああああああああああ!!!!!!!!!!

雲行きが怪しくなりましたね。

 

で、二番はまだ続きます。

 

「どんなにどんなにもがいても 針がのどから取れないよ」

→つかまっちゃったんですね・・・それも黒いやつに。

 

「浜辺で見知らぬおじさんが 僕を釣り上げビックリしてた」

→新たなおじさん(雇用主、会社)ですね・・・

 

ここで二番終わりです。

おお、もう・・・。

「たいやきが自由を手に入れた歌」だと思ってた自分がつらい。

 

三番

「やっぱり僕はたいやきさ」

→結局自分は、国の、社会の、会社の駒の1つでしかないのだ・・・

労働力でしかないのだ・・・

 

「少し焦げあるたいやきさ」

→それも、特別優秀な労働力でもない、なんならちょっと難ありなんだ。

王将や金や銀なんてとんでもない、ただの歩のひとつだ。いや、駒としても欠陥品かもしれない。

平民、底辺なんだ・・・

 

「おじさん唾を飲み込んで

僕を美味そうに食べたのさ」

→そんな自分でも美味そうに唾を飲むおじさん。

そしてそんなおじさんに食べられてしまう。企業に散々都合よく使い古され追い詰められ、自分を殺されるというか、死んだ目をした労働力と言う名の機械になるというか、最悪本当に殺されるというか・・・

結局、国、社会、会社の養分にされてしまう存在であることからは、逃れられないのだ・・・。

 

お終い。

アウトロもなく終わります。

 

・・・ね。

生きるってなんなんだろう

 

悲しいよね。

でもこれが現実なんだよね。

 

子供の頃も、「学校とかつらいな・・・毎日毎日学校行かされて、学校卒業しても働かなきゃいけなくて・・・毎日毎日決まった時間に起き、決まった時間に授業や仕事して、長時間拘束されて・・・何のために生きてるの?」って考えて悲しくなる子供だったけど、

でも「およげたいやきくん」はそこまで響かなかったんだけどな・・・「面白い歌」ってくらいで。

明日があるさ」と「およげたいやきくん」は、大人になると本当に泣ける。

 

生まれた時点で、社会の奴隷の一部でしかないんだよね。

みんなそれを当たり前に受け入れて、その中で無理矢理楽しみ見出して生きてんだよね。

私が子供の頃さっき書いたようなことを思っていたと話しても、誰にも共感されない。
「えっ、子供のころそんなこと思ってたの?ww」とか言われる。

私からすれば、それが不思議なんだよ。
なんでみんな当たり前にそんな悲しくて虚しい運命受容れられるの?

なんでそんな一日の大半を社会に支配される人生に納得できるの?
そんなのおかしくない?なんで日々をどう過ごすかまで他人に決められなきゃいけないの?
学校や働くのを1日何時間も毎日しないと生きていけないって、そもそもそれがおかしくない?

私はよく考えてたよ。どうせ支配されるだけの奴隷なら、感情なんか持たずにロボットになりたかったって。

そしたらこんなことも考えず、ただ社会に従順な労働力になれたのに。