さーぶろぐ(仮)

28歳ついに2度目の退職、無職の世界に舞い戻ってきた。そして29歳、再び社畜の世界へ。働くの嫌い、人嫌い、身軽に生きたい、生きるのめんどい...そんなニートあがりのアラサー女が色々語るブログ。クズ女でもなんとか生きてるよ

迷っていたら申し込みの締め切りが過ぎました

次のTOEIC受けるか受けまいか考えていましたが、考えたまま締切時間が過ぎてしまいました。

まぁ1ヶ月ちょっとで劇的に変わるとも思えません。

受ける前は、無職だし死ぬほどやればどうにか!と思っていましたが、そうもいかないなと受けてわかりました。

毎回受ける人も中にはいるようですし、「慣れ」というのもTOEICの得点には大きなポイントですからそれもいいかとも思いますが、受験料も安くありません。

だいたいTOEICの受験間隔は3ヶ月に1回程度だそうです。

そもそも、「本当にTOEICが必要かな?」とも思うようになりました。
私は何かにすがりたかっただけかもしれないと。

 

私は学生時代、英語が得意だったんです。

それも、読み書きが。

英語科だったのですが、学年1位だったこともあります。

でも、所詮は学校のテストでの話です。

元々コミュニケーション自体が嫌いな私ですから、英語を使って何かをしようとは考えませんでした。

現に、英語を話したり聞いたりするのは苦手でした。

だから大学はまったく関係のない分野に進み、就職もまったく関係のないところにしました。

でも、それで結局上手くいかなかった。
転職までしたけど。

色々ダメになって何も動くになれずに半年休んで、やっと何かを始める気になった。

そこで考えたのが、「今まで英語くらいしか得意なものなかったな・・・」ということでした。

 

そこで何か証になるものが欲しくて、それがTOEICでした。

ただ、1度受けたときに「二度と受けるか!」と思った覚えがあって、ずっと受けていませんでした。

 

たぶん、時間無制限なら良い線いくと思うんです。

私は集中力はないですが、でも一度やりだすと止まらないところがあるので。

でも、明らかに量に対して時間が短いから、投げやりになって集中力が途切れてしまうんです。

あれって全部読んでたら絶対に間に合わない量の英文と問題です。

パッと見で理解して問いに答えるなんて、私にはあの文章と問題が日本語であっても無理だと思います。

 

私はなんでも、じっくり考える時間と試行錯誤する時間が欲しいんです。

仕事でも勉強でも作業でもなんでもそうです。

TOEICはリーディングだけでなくリスニングにしても、解答時間が短すぎるんです。

選択肢読んで回答考えるのに8秒は私には短すぎるんです。あれが全部日本語でも私には難しいです。

もうこうなると英語とかいう問題でもないのですが。

 

ただ分かります。私がやりたいやり方では、普通のコミュニケーションも仕事もできません。

それも分かります。

TOEICはそういう能力を測るテストですから、私の希望が頓珍漢なのは分かります。

 

ただ、英語の勉強自体は続けたいと思うんです。

やっぱり自分に「これができる」というものは欲しくなったし、やっぱりいつか海外移住もしたいです。
前の漠然とした「もう将来は海外いこっかな~」ではなく、「40までは仕事頑張って、その後は海外で過ごす」という明確な夢です。

それにやっぱり、日本語しか話せないよりも、英語が分かる方がずっと広い世界で生きられると思うんです。

広い世界で生きるのが何がそんなにいいのか、と聞かれると、難しいのですが・・・

ただ、マレーシアに行ったときに思ったんですけど、本当に世界は広いんだなという事を思い知らされたんです。

自分の知らなかった世界を見たというか、その衝撃ってなかったんです。

日本にいると、日本で十分すぎるから、確かに他の世界を知らなくてもなんら不便はないんですけど・・・
でもなんというか、「狭い世界で生きてたんだな」と、初めてマレーシアに行ったときに思ったんです。

 

マレーシアという国は、いろんな民族や文化が入り混じった国だったからかもしれません。

それまで韓国と中国には行ったことがありましたが、マレーシアの方が異国感がすごかったです、個人的には。

観光客の多さも多様性も、東アジアに比べて段違いです。

日本と何もかもが違いすぎて、本当に「知らない世界を見た」って感じだったんでしょう。

 

そのときに、英語が分からない、日本語しか話せないということは、広い世界の中のほんの小さな場所でしか生きられないんだなと思いました。

それがどう良くないのか説明はできないし、その小さな世界でもなんの不便もなく過ごせるから別にいいんだろうけど・・・

でもやっぱり私は、どうせ生きるなら、こんな小さな島国で終わるのではなく、もっと広い世界の中で生きたいと思いました。

英語が理解できるって、日本語しか分からないよりもずっと知れることが多いと思うんです。
それはすごく痛感したことです。

たぶん私は、「知ること」が好きなんでしょう。
だからネットやテレビも好きですし。

 

最近思うことがあります。

というか、英語の勉強していて思いました。

「なんで私は英語圏の国に生まれなかったのだろう」と。

贅沢な悩みなのは分かります。日本に生まれただけで十分に幸せじゃないかと。

それも分かります。

でも私は、生まれながらにして英語が分かるようになりたかった。

せめて、英語と構造が似てる言語の国に生まれ育ちたかった。

日本語が母国語なばっかりに、英語を習得するのに大きなハンデになっている。
だって英語とまるっきり違うんだもん。
別に日本語なんか話せたって、この小さな日本でしか使わない。
日本語が話せたところで、なにもいいことなんかない。

それなら、英語圏で生まれ育って勝手に英語が話せるようになりたかった。

 

私は子供を産む気はないですが、もし子供がいたら、格闘技と英語は絶対やらせようと思うんです。

母は私に「学校の成績はどうでもいいから、他の人とも仲良くして、世の中でうまくやってほしい」みたいなことをよく言っていましたが、

私は子供には、「友達なんかいなくても生きていける。別に人と仲良くしたくなかったらしなくていい。他の人とは波風立てずに適当に付き合えばいい。ただ勉強はできた方がいい。「これができる」というものを持っていたほうがいい。」と言います。

何かできることがあることは、それが自信になると思うんです。

私には、なにもできることがなかったから、劣等感ばかり募っていったんです。

格闘技に関しては、肉体的に鍛えればそれが内面的な自信にもなると思うから。

ドランクドラゴン鈴木拓が、嫌なことがあっても「俺こいつ殺そうと思えば殺せるし」と思って生きれてると言っていましたが、それくらいで生きていた方が強く生きられると思うんです。

女の子が生まれたらレスリングやらせます。私みたいに男の子に舐められていじめられる子になってほしくないからです。

肉体的な強さと、賢さや聡明さを身につけて、堂々と男を一蹴し見下すくらいになってほしいものです。

 

私は結局ずっと、「とりたてたものがない自分」にずっと劣等感があったのだと思います。

だから結局仕事も身が入らなかった。

だから何かを身につけて、それで勝負ができるようになりたかった。

そこで自分が唯一人より得意だったのが英語で、その手っ取り早い証がTOEICだったのです。

でも、TOEICで問われている能力は、私が英語とか以前に苦手としている能力だと思います。

人の話をしっかり聞き、噛み砕いて理解し、適切に答える能力。

書かれていることの概要を即座に理解し、問いに対して的確な答えを見つける能力。

スピディーさが求められている時点で、私にはすごく難しいです。

 

でも、TOEICってすごく分かりやすい目標ではあるんです。

現に、私は今まで漠然と「やっぱ英語勉強したいなー」で結局なかなか勉強しなかったのですが、TOEICを受けると決めて申し込んでしまったら、勉強するようになりました。

単語を覚えるのもゲーム感覚になっていって、少しずつ楽しめるようになっていきました。

ゴールに近づいていく感覚が持てたからだと思います。

 

本当に英語を身につけたければ、やはり環境に身をおくのが一番近道だと思います。

でもその環境に身を置いて生きていくには、ある程度の英語力が必要というジレンマ・・・。

英語の勉強は続けたいと思いますが、TOEICについては、本当に必要なものなのか、ちょっと考えたいと思います。