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さーぶろぐ(仮)

ついに2度目の退職、無職の世界に舞い戻ってきた。さてどうするか...働くの嫌い、人嫌い、身軽に生きたい...そんな実家&セカンドハウスで暮らす28歳無職がこの先を考えつつ色々語るブログ

色々あって子供じみたことを吐き出す

母方の実家に行っていて、今は帰り途中でついでに観光するために近くの街にいる。

まぁ千葉より田舎だが、母の実家周辺よりはだいぶ便利になった。

母の実家周辺は、ガチで何もないレベルの田舎で、子供のころから何度ホームシックになったか分からない。

そして今回もホームシックになった。

さっき久々にココイチを食べたが、ふらっとココイチに入って食べられることがこんなに幸せだと思わなかった。

そして今漫喫にいるが、もうそれも嬉しい。

 

今回ここへきた目的は、祖母が天国へ行ったからだ。

関東と東北、遠くに離れて住んでいて、年に一度しか会わなかった祖母。

それでも毎年受け入れてくれ、優しくしてくれたし、可愛がってもらった。

美味しい料理を作って迎え入れてくれた。

そういった思い出はあるし、もちろんさみしい気持ちはあるのだが・・・

 

なぜだか、私はあんまり悲しまなかった。

去年サブローの引退試合ではしこたま泣きじゃくったのに、目を閉じたままのおばあちゃんに会っても、葬儀でも、火葬場でも、涙も出ないし悲しい気持ちもわかなかった。

おばあちゃんのことが嫌いなわけでもどうでもいいわけでもないのに、思い出もあるし愛着だってあるはずなのに。

自分でも不思議だった。

妹は、「そうかな?ねえちゃんにだったら普通にありうることだと思うけど」と言われたけど。

 

おばあちゃんには悪いけど、私は不慣れな環境で疲れてしまった。

ここ最近、母の実家へ帰省するときは、叔父の家に滞在させてもらっていた。晩年の祖母も叔父の家で叔父と一緒に住んでいた。

でも、いざ今回行ったら、「今回は実家に泊まる」と言われた。

実家の方は、地デジが入ったテレビもない。

そして、家族4人で泊まればパーソナルスペースもないし、ひとりになろうと出かけるにしても、近所に遊んだりのんびりコーヒーでも飲んで過ごせるようなところもない。

そして散歩するにしても、東北は寒い。

近くに駅もないし、駅に行くバスだってほとんどない。

夜フラッと飲みに行く飲み屋もない。

家にいるにしても、Wi-Fiがないからサクサクつながらない。

 

いやお前は今回何しに行っているのか、確かにそれもそうなのだが、

何もしない時間の方が多いのに、何をしていればいいのか。

祖母を想う前に、自分の心が追い込まれていく。

なんか、子供のころからいつも思っていることなのだが、ここに来ると、閉鎖されているような気持ちになる。

しかも今回は、ただでさえ閉鎖されている上に、テレビもないのだ。

 

私が育った成田、今いる千葉

決して都会ではないが、少し歩けば大抵のものはある。

「ゆっくりコーヒーが飲みたいなぁ」と思えばカフェ。

100均で買い物しようと思えば100均があり、時間つぶそうと思えばゲーセンやカラオケやファミレスや漫喫や図書館がある。

酒飲みたいなぁと思えば飲み屋はいくらでもあるし、地元じゃないどこかへ行こうと思えばバスや電車は当たり前にある。

そして家にテレビがある。

それがどんなにありがたいことだったか・・・身に染みて分かった。

 

あと、葬儀などそのものも不慣れだった。

成人してから近い身内が天に召されたのは、今回が初めてである。

だから、知らないことや初めてのことばかりだった。

祖父は両方とも物心つくかつかないかのころに亡くなっている。

父方の祖母が小学生の時に亡くなって以来である。そのときは子供だったから、大人たちがせわしなく動いている間、部屋に軟禁されていたから、何も知らなかった。

まず、「香典を払え」と妹に言われ、「え?人が死んで金払うの?てか身内でも?」と驚いた。

妹に「姉ちゃんと連名にするから」と言われ、「1万払う?5千円ずつにする?」と言われたので、「5千円でいいんじゃないの」ということで落ち着いたのだが、

父親にいやそこは1万円出さないとなどと言われ、もうだんだんめんどくさくなった。

別に1万出すのはいいんだけど、なんで人が死ぬからって金出すんだろう?誰が出し始めたんだろう?など、大人になり切れない考えをしだしてしまう。

しかも通夜と葬儀の受付をやってくれと言われ、毎年世話になってきた叔父の頼みだし無下にできるわけないし・・・。

正直言って、私は完全に単なる「参列者」側の気満々で、はるばる千葉から東北の地までやってきた。

東北といっても、新幹線も通っていない、陸の孤島と呼ばれる場所です。

それが、受付やるだの、お酌してまわるだの(叔父はやらなくていいと言ったし、実際やらなかったけど)、一番前の席に座るだの、出棺の時に何か持つだのという話になり、

こう羅列すると大したことではないんだけど、でも正直言って、

年に1度しか会ってないのに、3番目に近いと言われても・・・という感じだった、終始。

思えばおばあちゃんとはあまり話をしたこともないし、ほとんど他人の感覚だったんだろうなと。

私がずっと人見知りしたままだった。

他人の葬儀に参列するだけ感覚だったのに、実は全然違いました催す側でした、という感じだったので、混乱したままで疲れたのだと思う。

 

もう二度と葬儀はごめんだと思った。やりたくないし、私の葬儀もしてくれなくていい。

死んだら終わりでいいんだよ人間なんて。

どうしてもやるとしても、もう全部外注する。

 

私はそもそも仏教徒でもないし、なにかを信仰してるわけでもない。

だからそもそも、すべてが意味不明なのだ。

人が死んだらお金を払う、儀式をする、なにか不思議な言葉を唱える、お焼香をする、棺に花を詰める、たいまつだのご飯だの用意する、仏壇の水を替える・・・すべてが意味が分からないのだ。

思考停止して「もうそういうものなんだ」と思えばいいのだろうけど、どうしても要らん労力に思えて仕方ない。

本当にそこまでしなきゃいけないのかな?

自分の家族にそんな労力負わせたくないわ。

死んだらそれで終わり。

 

そういや今月曜の夜ふかし見て普通に笑ったけど、ここ数日はそんなこともなかったかもなぁ・・・。

 

もうこういうことがあると、正直家族とかめんどくさくなる。

そういうしがらみから逃れて、ひとりになれたらなぁ・・・と思ってしまう。

海外行きたいなっていうのは、それもあるんだと思う。逃げられるかもって、心のどこかで思ってるんだろう。

自分一人で育ってきたわけでもないし、それもわかってるんだけど、だったら産まないでほしかった。

だから私は、やっぱり家族とか作りたくないなぁ。

 

そもそも私は、子供のころから両親の帰省に付き合うのは苦痛だった。

周りの友達は近場で済んでるのに、なんで私は夏休み1週間使って両親の帰省に付き合ってわけわからん田舎に連れて行かれなきゃいかんの?といつも思っていた。

幼稚園のお泊り会を犠牲にしたこともある。

「おばあちゃんに孫の顔を見せる必要がある」と言われても、それにしてもなんでこちらが毎回会いに行くのかという話で、会いたいなら会いに来ればいいのにな・・・と思っていた。

おばあちゃんの家は、両親にとっては地元で実家かもしれないが、私にとってはよその地でよその家なのだ。

その上パーソナルスペースもなければ一人の時間もなく、外へ出るも娯楽もなく、ほかの場所へ行こうにも駅がない。駅に行くバスもない。

子供をつくるつもりはないが、仮につくったとしても、私は自分の帰省に子供を付き合わせたくない。

 

まぁあれだ、私には田舎暮らしは無理だし、家族付き合いも無理だ。

帰り際、いつも親切で優しい親戚のおばさんに「また来てね」と言われたが、もしそのときが来たとしても、駅近くのホテルにでも泊まると思う。