さーぶろぐ(仮)

28歳ついに2度目の退職、無職の世界に舞い戻ってきた。そして29歳、再び社畜の世界へ。働くの嫌い、人嫌い、身軽に生きたい、生きるのめんどい...そんなニートあがりのアラサー女が色々語るブログ。クズ女でもなんとか生きてるよ

食事はひとりに限ると改めて思った今日。

きょうはすき屋でアボカド牛丼を食べました。

帰り道、ふと思いました。

よくよく思い返すと、私にとって食事は煩わしい思い出が多い。

子供の頃から大人になった今に至るまでの、食事に対する煩わしい思いを全て挙げていこうと思う。

 

まず幼稚園の頃。

私の幼稚園は、給食を全部食べ終わるまで昼休みに入れなかったんです。

だから、当時好き嫌いが多く、その上食べるのが遅い私は、いつも遅くまで食べていました。それが苦痛でした。

 

他にも。

私は牛乳が嫌いだったので、飲み物が牛乳の日は、牛乳が入っている量が少ないコップを、血眼になって探していました。
(当番が目分量で入れているため)

ある日、いつものように牛乳が少ないコップを選びました。
ものすごく少ないコップがあって、「ラッキー」とすら思ってました。

しかし、少し目を離した間に、コップに入っている牛乳が増えていたのです。

「え、なぜ・・・確かに少ししか入っていなかったのに・・・」

私が固まっていると、先生が「○○先生(新人?)が、少ないと思って入れてくれたんだよ」と言いました。

私は「は?何余計なことしてんだよこのやろー(泣)」と思いましたが言いませんでした、でもきっと顔に出てたんでしょう。
その若い先生は「え?何か悪いことしちゃったかな・・・」と困ってる様子でした。

私は「これはあわよくば減らしてもらえるぞ!」と思いました。

が、しかし。

そしたら周りにいた子が、「でもさーちゃんいつも牛乳よく飲んでるよ」ってフォローしやがったんです。

いや、飲んでるのは、冷たくないと飲めないから、勢いで頑張って流しこんでるんだよ・・・

で、「そっかそっか、ならオッケーだね!」みたいになってしまい、私はいつもより多い牛乳を飲むことになりました。

 

そもそも、私は、「全員揃って挨拶するまで食べられない」というのが大っ嫌いでした。

なぜ目の前にあるのに食べられないのか。

食べたいときに食べたいんです。

用意ができたらすぐ食べたいんです。

幼稚園から中学まで給食でずっとそれでしたが、それが苦痛でした。


小学校にあがると、給食当番制が始まりました。

私はこれが大っ嫌いでした。

まず、タダ働きだと思ったから。

そしてもうひとつ、マスクを忘れてしまうから。
当番が終わった翌週は、洗濯した割烹着を忘れてしまうから。

お弁当だったらどんなにいいだろうと、毎日思いました。

タダ働きしなきゃいけないわ、
全員揃って挨拶しなきゃいけないわ、
嫌いな食べ物は出てくるわ、
飲み物毎日牛乳になるわ、
好きでもないクラスメイトと同じ班で食べなきゃいけないわで、私にとって給食は地獄でした。

小学校中学校の6年間やってたんだから、我ながらよく頑張ったと思う。

普通の人はここまで嫌じゃないんだろうけど、私には給食の時間は、体育の時間の次につらい時間だったかもしれない・・・。

 

家でご飯を食べるときもそう。

中学くらいまでは、家族でご飯を食べていた記憶があります。
高校になったらバイトを始めて夜遅くなるようになったので、たしか家族でご飯を食べていたのは中学までです。

私にとっては家庭のご飯の時間すら、あまり楽しみな時間ではありませんでした。

まぁ幸い食事中のテレビは許されていましたけど、本やゲームはダメだし(まぁマナー的に注意されるのは仕方ないんですが)

私にとっては、ご飯よりやりたいことがあるときもあるわけです。
でも、ご飯の時間以外のご飯は基本許されないわけです。

でも、子供の小遣いで毎日の食費が賄えるわけもないので、従わざるをえない。


あと、ご飯とおかずを一緒にとることを強要されたこともありました。

私は基本的に、ご飯はひとつひとつ片付けたいタイプです。

まず味噌汁を片付け、それからおかず、それからごはん、と。

もちろん、ご飯とおかずをセットで食べることもあります。
ただ、私のなかで「これはおかずのソロで」と思ったものは、おかず単品で食べたいし、先に片付けたい

しかし母にはそれが気に食わなかったらしく、それでもめたこともあります。
なんでしょう、ちょっとずつつまんでほしかったんですかね。

あとおでんは必ず揉めました。
私の中ではおでんは「ソロのおかず」なので、おでんを食べてから、ごはんを消化していました。

でも母はごはんと一緒に食えと言うんです。

それがもうめんどくさくて・・・

なんでたかだか食事でもめなきゃいけないんだろう・・・と、食事の時間は正直言ってめんどくさかったイメージの方が強いです。

もう毎日どんぶりにしてくれよ!と何度も言ったことがあります。

そもそも私は、おかずは一品でいい派です。
ごはんとハンバーグ、ごはんとしょうが焼き、ご飯とマーボーナス、親子丼、天丼。
それだけでいいんです。

でも母は必ず2品用意するんです。だから揉める。

あと、私が煩わしかったのは、鍋のときですね。

前にも言ったとおり、私は鍋が大好きです

saadays.hatenablog.com

鍋の雰囲気が好きとか、みんなで食べるのが好きとかじゃなくて、私は鍋そのものが好きなんです。

なので、私は欲しい具材は自分で入れて、自分で確保していました。
しゃぶしゃぶ温野菜とかと違って、家でやる鍋には具材に限りがあります。
だからこそ、好きなものだけを、確実に食べたいわけです。

しかし。
人と食べると、自分が入れた具材が、他の人にとられてたりするわけです。

でも、私が「あれ?ここにあった肉は?確保しておいたのに!」とか言うと、「鍋に確保もクソもない」みたいな反応が返ってくるわけです。

大方の人にとって鍋とはそんなものなんだろうけど、私にとっては、食べたいものを食べたいんです。

大人になってひとりで鍋を食べていると、「誰にも邪魔されない、これほど幸せなことはないな」といつも思います。


高校生になってバイトしたり、社会人になって働くようになってからは、外で食べることが多くなりました。

好きなものを食べたいときに食べられるって、幸せだと思いました。

 

それでも煩わしいなと思うときは、やっぱり人と食べるときです。

まず、どの店にするか、何を食べるかで揉めるのがめんどくさいんです。

私は幼少期から中学生にいたるまでの上記の経験から、「人とする食事は付き合い」と決めています。
どういうことかというと、「人とする食事は、自分が食べたいときに食べたいものを食べることではない」、ということです。
そう思うようにしたのです。

そう思っているうちに、本当に食べたいものがなくなってしまいました
さんざん面倒に思ってきているから、食に対する執着もあまりない。

だから、本当になんでもいいのです。
気を遣っているわけではなく、本当になんでもいいのです。

なんなら、他の人が食べたいものを私も食べたい。
極端な話、牛乳?どんとこい!チーズ?どんとこい!なんですよ。
嫌いなものでも、その人が食べたいなら食べたいんですよ。
そのときはね。そういう時間だと思ってるから。

でも、人と食事に行くと、「どうするー?」「なんでもいいよー」の堂々巡りだったり、かと思えば、「今日は○○の気分じゃない」「もっと値段が安いところが・・・」で店に入るまでに時間が掛かったりする。

私はひとりでご飯を食べるときに、ほとんど迷うことがありません。
私が行くのはだいたいマックか牛丼かうどんだからです。
前述のようにたまに鍋に行ったり、ふらっとファミレスに行ったり、見つけたお店に入ることもあります。
でも、どうしてもこれが食べたいと店を探して彷徨うことはしません。

たかだか食べ物で、迷ったり考えたりする労力が煩わしいんです。

食事なんてものは、私からすれば、胃に物を入れて満腹中枢を満たし、栄養を吸収する行為に過ぎない
確かに、鍋とかチョコレートとか、私にも好きな食べ物はあるけど、なんというか、それはオマケ程度というか、嗜好品みたいなものというか。

ひとことで言ってしまうと、「食い物なんてなんでもいいだろ!」って思うんですよ。
お腹いっぱいになれば。

でも人と食事に行くと、そうもいかない。
まず店を決めるまでがめんどくさい・・・。
だから食事はひとりにかぎるな、と。


あと私が絶対に許せないことがあります。

それは、「なんでもいい」と言ったのに、「なんでもよくない」ことです。

私は、店を自分で選ぶのが嫌いです。さっきも言ったように、他の人が食べたいものを食べたいから。

ただ、意地でも「なんでもいい」と言ってきかない人がいます。そういう人には、「本当になんでもいい?じゃあ決める」と言ってさっさと決めます。

あるとき私は、マックがあったので「じゃあここにしよう」と言いました。

その人は「持ち合わせがあんまりない」とも言っていたので、それも考慮したつもりです。

でもそいつが言い放ったのは、

「脂っこくて嫌だ」

・・・。

私は思わずブチギレましたよww

なんでもいいって言っただろwwwww

しかもそのあとそいつが言ったのがさらに驚きで、

「じゃあ餃子にしよう、脂っこいけど」

・・・。

なんなんだよwwwww

なんでもいいと言ったかと思えば何でも良くなかったり、脂っこいのが嫌だと言ったかと思えば餃子がいいと言ったり。

心の中で「もうめんどくさいよ・・・(泣)」と私は疲れました。


あとこんなこと言うのもなんだけど、家族の食事の件でもあったように、人と食事するとマナーうんぬんが正直めんどくさい

家でひとりで食事するなら、
本読んだりネットしながら食事しても
ゴロゴロ寝ながら食事しても
缶ビールにストロー差して飲んでも
箸のタブーがどうとか
誰も注意しないから自由なんだよね。

外食にしたって、ひとりで食べてるときは、食事のマナーなんか気にしなくたっていいんだよね。
確かに見ている人は見ているかもしれないし、そういう人に「マナー悪いな」と思われてるかもしれないけど、別に知らない人に心の中でどう思われようが、どうだっていいしね。

そもそも、多くの人は周りの人のことなんて、大して気にしてないんだよなぁ・・・。
私だってよほどうるさい客とかじゃない限り、他の客のことなんて気にしたことないもん。

 

あとはあれだね、居酒屋の大皿料理
あれも面倒だと思う。

私が初めて大皿料理に触れたのは、まだ20歳になりたての中学の同窓会(といっても小さい規模)だったと思う。

ファミレスのように、自分が食べたいものを注文して食べるものだと思ってて、自分が「これだ!」と思った「ポテトの明太子炒め」を注文した。
他の人が「カマンベールチーズ」とか頼んでても、まさかシェアすると思ってないから気にしなかった。

案の定、私がウキウキで注文したポテトの明太子炒めは、無残にも人数分の取り皿に取り分けられてしまった。
私の元にはほんの少しのポテトの明太子炒め。その代わりに来たのは、他の人が頼んだどーでもいいものや、苦手なカマンベールチーズ。

好きなものだけたくさん食べたいのに、いろんなものちょこちょこ食べるの嫌いなのに・・・。

「人との食事は付き合い」だと本当に諦めたのは、この日だったかもしれないですね。


あと私の友達にはあまりいませんが、「シェアしよう!」とか「一口ちょうだい」ってやつですね。 

そんなに食いたいならどっちも頼んで食えや!と。

私は高校生のとき、うどんもカレーも食べたくてどっちも頼んで食べたことがあります。

だから、どっちも頼んで食えばいいんですよ。できないなら諦めろ。

 

本当にこうやって挙げてるとキリがないですね。

人とする食事ほど、煩わしいものはない。


そもそも、食事って別々にとったらいけないんでしょうか?

別々に食事して、終わったら再集合すればいいんじゃないでしょうか?
そしたら揉めなくて済むし、お互い好きなものを食べられますよね。

なんで一緒にいるからって、食事は絶対同じ場所で一緒に食べないといけないのでしょうか。

 

やっぱり食事はひとりがいちばん^^