さーぶろぐ(仮)

28歳ついに2度目の退職、無職の世界に舞い戻ってきた。そして29歳、再び社畜の世界へ。働くの嫌い、人嫌い、身軽に生きたい、生きるのめんどい...そんなニートあがりのアラサー女が色々語るブログ。クズ女でもなんとか生きてるよ

結局私の趣味って「ひとりで過ごすこと」だと思った

野球以外の趣味探そうかな・・・って話をして

saadays.hatenablog.com

 よくよく考えたら酒ってピッタリなんじゃね?って話になって

saadays.hatenablog.com

 でも実際酒は好きだけどこだわりはないしなぁ・・・なんて思ってたこの頃

 

今日ふと、

「ざっくり言うと、結局『ひとりで過ごすこと』そのものが趣味なんじゃね?」と思った。

 

もちろん友達と一緒に過ごす楽しさもある。

でもそれは基本的には年に数回、会う頻度を決めているわけではないが、結果的にそうなっているから、楽しいと思えるのだろう。

もちろん、友達だからこそ楽しいのもある。

 

でも、ひとりで過ごす日々と時間はとても愛しいもので、何をやっても心穏やかで楽しいものだ。

 

一人暮らしをして、効率のいい方法を見つけたときの喜びや、誰にも注意されず自分の思い通りに生活すること。

ひとりでネットをする時間。

ひとりでテレビを見る時間。

ひとりで自分が食べたいときに準備ができたらすぐに食べられること。

カフェでひとりのんびり過ごす時間。

満喫でゴロゴロする時間。

ひとりでカラオケ。

ひとりで誰にも邪魔されずに野球場でビールを飲む。

ひとりだからできる無計画旅行。

家・外問わずひとりでゆっくり飲む時間。

 

ふだん当たり前すぎてなかなか気がつけないが、こんな当たり前の日常がなくなったら間違いなくつまらなく苦しい毎日になるし発狂しそうになる。

 

「ぼっち」か「ソロ充」か。

どっちでもいい。

私は憧れがあってそういう風にしているわけではないし、「ひとりでいる自分カッケー」なんて思っていない。

いや、そんな自分のことを、私自身は好きだけど、他人に誇れるようなことではないと思っている。

私は、人が好きで、人と一緒に物事を楽しめる人の方が素晴らしいと思う。

それが、「人から寂しいと思われたくないから」やっていることだとしても。

私には、なかなかそれすらできないから。

そんな自分に、子供の頃は劣等感というか、「私ってダメなのかな?」と思っていた。

 

親曰く、私は幼少期から、公園に連れて行っても、ひとりで遊んでいることが多かったようだ。

ハブられているというよりは、自分からひとりで遊んでいたらしい。

親曰く、だから分からんけどね。そう思いたくないだけかもしれないしww

みんなが砂場のときにブランコでひとり遊び、みんながブランコのときはひとりで蟻を観察していたようだ。

母親は特に、そんな私を危惧していたようだった。

母は、「学校の成績は悪くていいから、とにかく人と仲良くして協調性を持ってほしい」というタイプだった。

現に私が子供の頃に注意されてきたことといえば、勉強のことではなく、他の子と同じようにできないことだった。

 

小学校に上がって、私は友達を作らず、ひとり学校を探索したりする日々を続けた。

友達を作る必要性を感じなかったというか、それ以前になにも考えていなかった。

周りが友達を作って休み時間等を過ごしていることすら、知らないし目にも入っていなかった。

今の時代の小学校がどうかは知らないが、当時は今から20年前である。

まだ「おひとりさま」とか「ソロ充」とかいう言葉も生まれていないし、とにかく「ひとり=アウト」というか、それ以前に「変な人」という考えだった。

ひとりでいるのは異常だと。まだそういう時代だった。

だから、そんな異様な子供を担任は察知し、親に連絡したのだ。

今じゃ考えられないが、そんな時代だった。

その話を聞いて私は、子供ながらに、「どうやら、ひとりでいるのは異端なことらしい。」と思うようになった。

特に母親は、先ほども言ったように、我が子に「異端な子」にはなってほしくなかったのだろう。

他のこと同じように何事もなく過ごしてほしいのだと思う。

まぁ結局あんまり治らなかったんだけどねww

 

その後は友達もできるようになり、今でも結婚式に呼ばれたり、会えば話できたりするけどね。

だから、あのまま孤高の狼を貫いていれば、そんなこともなかっただろうし、そこは親に感謝かもしれない。

 

それでも基本的にはひとりでいることに苦は感じなかったので、

例えば、同じグループに親しい友達のいない遠足だと、お弁当をひとりで食べたりした。(他のグループの友達とは一緒に食べられない)

私としては、「○○ちゃんも○○ちゃんもいないし、まぁいいか、あっちで食うか」くらいの感じだった。

よくわからない人と一緒に食べるよりは、別にひとりで食べればいいかという感じ。

しかし結局、グループのリーダー的な子に、「さーちゃん一緒に食べよう」と言われてしまった。

グループ全員で食べなきゃいけない、という決まりはなかったのだが、ハブってるみたいに(特に教師に)思われるのが嫌だったんだろうね。

その気持ちはよくわかる。悪いのはその子ではなくて、「食事は人と一緒に食べるもの」という謎の暗黙のルールを強いる大人だからな。

 

その他に、任意の合唱コンクールで、私以外の女子がみんな参加したが、私は一貫して不参加を貫いた。

最初は不参加者は私だけではなかったのだが、次々と当初の不参加者が参加に転じ、右に習えで私以外みんな参加になった。

私は怠け者なので、基本的に最低限の学校業務以外はやりたくなかったのである。

朝錬なんてあれば早起きもしなきゃいけないし、合唱なんて疲れるし、合唱してコンクールに出た所で「それで?」って話だから。

コンクール当日、私はクラスで女子ひとりという事態になったが、どこ吹く風だった。

男子には煙たがられたけどなww「なんだこいつww」ってww

男の子は苦手だったから、それは少し辛かったかな。

ちなみに給食は、先生が気を遣ってくれて、隣のクラスの子と食べた。(隣のクラスは不参加の女子が数名いた)

前日から、「さーちゃん、給食2組で合同で食べるから、大丈夫だからね」とわざわざ言いにきたww

まぁそれくらい、ひとりっていうのは考えられなかったんだろうね。

 

中学にあがってもあった。

推薦入試の日。

私は推薦入試を受けなかった。

部活もやっていなかったし、内申点もそんなによくなかったから、推薦受けても勝ち目がないと思った。

ならば労力の無駄だから一般でいいと。(一般はまず受かるレベルだったので)

しかし、だいたいの子は推薦を受けるし、当然普段割と仲良くしている子もみんな受ける。

受けないのって、それこそ、申し訳ないが普段私と接点がないDQNグループくらいだ。

技術室かなんかで全クラス合同で給食を食べることになったのだが、

やっぱり私はひとりで席についた。

DQNはみんなで固まっていたが、そこにわざわざ声掛けて「入れてー」と言ってまで、一緒に食べようとも思わなかったからだ。

たぶんDQNじゃなくて普通の子でも声掛けてまで一緒に食べないと思う。

「えーなにあの子ひとりで食べてるのー」とか言われてるけど気にしない。

ちなみに私は、DQNに特別目をつけられてるわけでもいじめられているわけでもない。

そもそも、DQNとは言っても別にそういう子たちではなかったから。(私の知る限りではあるが)

みんなとも仲良くしてたしね。

私の小学校からの友人(人好きで社交的)からも、DQNがあまり好きじゃない私に、「A(DQNグループのうちのひとり)たちはいい子だよ?」と再三言われていた。

好きじゃないというか、私は事なかれ主義なので、「君子危うきに近よらず」的な考え方だから、あんまりいい存在とは思えなかったのだ。

で、案の定DQNグループと自分しかいない状況でも、私はひとりでご飯を食べ始め、そこで「なんでひとりで食べてるのー」と後ろ指を指されることとなる。

しかし、なんとそこで、さっき友人が「良い子」と言ったAさんが「一緒に食べよー」っと言ってきたのである。

まぁ実はAさんとは、合唱コンクールで一緒に伴奏したこともある。曲は2曲あるので、1曲ずつ担当したのだ。
なのでまったく接点がないわけではない。悪い人じゃないのも知っている。

「なんでひとりで食べてるのー」も、後ろ指を差したのではなく、やはり当時は、人と一緒にいるのが当たり前だったのだ。

 

高校にあがってからも、学校で友達はできたが、プライベートで遊ぶことはそんなになかったので、ひとりで過ごす時間が多くなった。

学校では比較的常に人といたと思う。

女の子ばっかりの学校というのもあって、居心地がよかった。

バイトしてお金も入るようになったので、ひとり外食の楽しさを覚えるようになった。

 

大学生くらいになって、やっと「おひとりさま」とかいう言葉が出てきたと思う。

たしか、「アラフォー」とかもそれくらい。

それくらいから、ひとりにも市民権が与えられるようになってきた。

アラフォー独身でもかっこよく生きてる、天海祐希とか篠原涼子(当時は独身)とかが支持されるようになったのも大きい。

大学はもっと制約がない場所なので、私はひとりを満喫していた。

大学というと、サークルなどで友達をつくって楽しく過ごす場所でもあるが、しかしそれがなくても許されて支障が出ない場所でもある。

授業もひとりで受けるし、学食もひとりで食べる。

まぁゼミで先生や後輩と仲良くなれたけどね。これは不思議だわww

でもまぁ自分から誘うことはないし、やっぱり基本ひとりがデフォだからだと思う。

 

・・・とこのように、私の人生は基本的に「ひとりがデフォ」だった。

かといって、常にだれともつるまないわけではなく、それなりに友人もいる。

しかし、基本はひとりで、その上に素晴らしいオマケで友達との付き合いがある感じだ。

 

よく、私はそれを、「最近の若者」で片付けられる。

でもしかし、この通り、それは違うのである。

私は、おひとりさまに市民権が得られる前の、20年以上前から、「ひとりがデフォ」だったのだ。

ひとりでいることが異端だった時代から、私は一緒にいる人がいなければひとりで行動していたし、なにがなんでも人とつるむことはしなかった。

それも固い意志があってそうしているわけではなく、本当に、それが自然な行動だったのだ。

私はよく休み時間はひとりで突っ伏して寝たりしていたが、それでも幸い周りの子は「こういう子だからね、しかたないね」的な感じで見守ってくれていた。

人と違う行動をしているといじめられることもあっただろうが、幸いそういったことはなく過ごせたのは、周りの子が優しかったからだろう。

小学校のときは、男子にいじめられたりしたけどね。

 

たぶん「最近の若者」と呼ばれる人たちは、
「あれ、ひとりでいてもいいの?じゃあひとりでいようかな~。今までは「ひとり=変な人」みたいな感じだったから無理にでも人といたけど、そうじゃなくてみんな普通にやってるなら、じゃあ私(俺)もひとりでいーよおっと!」
みたいな感じだと思うけど、

私は違うと断固として言いたい!
時代が違う20年以上前からそうだった、元々の性格。

最近の若者は、結局「みんながやってるなら大丈夫」で右に習えなだけだから、正直一緒にされたくない。
私は変な人だろうがなんだろうが気にせずひとりやってきたんだよww

いや、どっちもどっちなのは分かるんだけどさ。

むしろ、私はみんなが一生懸命やってきた「無理にでも人と一緒にいる努力」を怠ってきた(逃げてきた)から、一緒にされたら失礼だと思うんだよ。

 

そして今も、一人暮らしが楽しくて仕方ない。

無職にアパートの家賃は大きな出費だが、それでも手放したくない。

やっぱり私は、「ひとりでいること」が趣味なのだろう。