さーぶろぐ(仮)

28歳ついに2度目の退職、無職の世界に舞い戻ってきた。そして29歳、再び社畜の世界へ。働くの嫌い、人嫌い、身軽に生きたい、生きるのめんどい...そんなニートあがりのアラサー女が色々語るブログ。クズ女でもなんとか生きてるよ

風邪が治るどころか悪化し未だかつてないほど苦しんでいました

 

saadays.hatenablog.com

前回のこの記事で、しろくまカフェについて明日書くと言ったものの・・・

翌日、悪化してしまい。

一昨日、昨日とだいぶ苦しくて、それどころではなく・・・。

面接終わったらさっさと帰って療養するべきでしたねww

でも、そのときはだいぶ体調良くなってたし、なかなか東京に行くこともないので、行きたかったんですよね。
帰りに駅ついたときまだ14時15分だったし。

私の風邪で1日以上続いたのは、幼稚園のときに1週間寝込んだやつ以外に一度もなかったので、まさか次の日まで続くなんてこのときは思ってもいなかったんですわ。

 

面接の翌日の木曜日、熱が復活していた。

さらに、のども痛くて咳が出る。

とりあえずネットで色々できることを調べてみて、薬や食べ物などを買出しに出かけた。

よく一人暮らしでつらいことで「風邪をひいたとき」が挙げられることがあるが、それを聞いた私は、「別に風邪っていうほどつらくないじゃん。余裕っしょ」と思っていた。

しかし今回のは、一人暮らし実家暮らし関係なく、今までにないほどしんどいもので、出かけるのもなかなかの億劫だった。

咳も出るし、すぐに鼻もかみたくなるし、何よりとにかくだるい。

なんとか買って帰ったが、たったの10分があれだけつらいと思うこともそうない。

 

ネットで絶賛されていた「ぺラックT錠」というのどに特化した薬があるのだが、当初はそれをかうつもりでいた。

実際にマツキヨで見てもそこまで値が張るものでもない(18錠で1,000円しないくらい)。

でも無職の自分の悪いところで、レジに行く途中で見たヴィックスのドロップ(300円)くらいを見て、「安く済むならそっちの方がいいかも・・・」とか思ってしまい、結局そっちにしてしまったのだ。

ぺラックは第3類医薬品、ヴィックスは指定医薬部外品で、その分薬効が違うのは分かっているのだが、私はとにかく自分の体の強さだけは強く信じている節がある。

昔から滅多に風邪引かないし、引いても薬を使わずともすぐに治ってきたからだ。

素直にぺラックにしてれば、苦しみが長引くこともなかったかもしれない・・・。

 

とりあえず風邪やのどにいいというものは買ってきた。

水分補給にいいというスポーツドリンク、はちみつと一緒にとるとすぐに治るという大根、他にもネギや生姜、あと食事はおかゆと生卵がいいというのでそれを。

 

大根は、大根のはちみつ漬け(大根を5mm角に切り、生姜と一緒にはちみつを漬けて水分が出てきたら、それをなめる)と、大根おろしにはちみつをかけて食べる方法、どちらもやった。

これがとにかくネットでみんな口を揃えて「いい!」というので、期待した。

さらにこの日にやっていたアメトーークの「大根ありがとう芸人」でもナイツの塙が「はちみつ大根でのどの不調が一発で治る」と言っていたので、もう本当に信じた。

翌日はバイトの研修なので、買ってきたヴィックスや喉にスプレーする薬をして、とにかく祈る気持ちで床についた・・・ものの・・・

 

咳が出て苦しくあまり眠れなかった。

しかも、あまり寝た気がしない中、アラームが鳴ったので仕方なく起きると、猛烈なのどの痛みが襲ってきた。

「なんか、悪化してね・・・?」と思ったし、とにかく声が出にくくなっていた。

はちみつ大根なんだったんだ・・・信じてたのに!と、心の中で叫んだ。

熱を測ったら熱はなくなっていたが、声が出ないので研修はどうしよう・・・と悩んだが、「まぁ研修って商品の知識みたいなことやるって行ってたし座学とかだろ、とりあえず行こう」と思っていくことにした。

しかし、水分をとろうとすると、喉にしみて痛い。水でも痛いし、スポーツドリンクはもっと痛い。
これがとにかくつらい。

 

研修はなんとか終えたが、結構つらいものがあった。

まず自己紹介の時点でしんどいし、あと挨拶とか販売の練習とかまであったりして、のどの痛みには天敵といわんばかりだった。

帰りは異様に長く感じるし、駅から家に着くまで歩くのも本当に長く感じた。

 

大好きなタモリ倶楽部も観ずに早く寝ようと床についたのだが、とにかく眠れない。

唾を飲み込むのも痛いので、意識して飲み込まないといけないし、咳き込んで痰とも言えないものが出るのだが、それを飲み込んでも結局また外に出そうと咳になる・・・の繰り返しで、どうにもならない。
そもそも痰も止まらない。

寝てしまえばこっちのものなのだが、それができない。

昨日まともに寝ていないにも関わらず、けっきょくまたまともに眠れずに朝になってしまった。

 

痰も止まらないというか小出しにしか出なくて、結構力を入れないと出ないし、それを解消するには水分摂取なのだが、飲み物がものすごくしみるのでそれもできない。

ウィダーインゼリーのようなものだけはしみずに飲めたので、それでなんとか水分補給していた。

そしてたまらずぺラックT錠を買いに行ったww

口内炎にも効くそうだから、まぁ今後使う機会あるかなとも。

大根をスープにして食べたり(スープは染みなかった)、とにかく安静にして過ごしたものの、

咳が止まらない、痰が出づらい、声が出ず息が苦しいというだけで、とにかく生きてるだけでつらい。

そしてこの日の夜(つまり昨日~今日にかけて)も、ほとんど眠れなかった。

しかも夜中に鼻をかんだら鼻血がジュワーっと出てきて、結構な量が出た。

 

でもこの日、つまり今日は、朝方~午前中にかけて少しちゃんと眠れた。

目が覚めると、だいぶ楽になった。

まず息苦しさが全然違うし、声が出やすくなったし、のどの痛みそのものはほとんどなくなって、飲み物もしみなくなった。

底は抜けたと感じる。

そして今こうしてブログを書けるようになった。

 

なんでだろうなぁ

同じようにこのセカンドハウスで生活してて、仕事しててストレスもマックスだった去年の冬は風なんて全然ひかなかったのに、

なぜニートでストレスフリーな生活してる今年の冬はこんなことに・・・。

食事にしたって、去年仕事してるときの方が適当だったと思うし。

まぁひとつ思うのは、元々は、火曜日実家で爆睡したときにのどを痛めたのが元凶だと思うので、要はきっかけがあるかないかなんだなと思います。

このとき実家にも加湿器置いてつけるなり、マスクして寝るなりしていれば、変わっていたとも思うし。

私は鼻は結構弱いのですが、のどはそこまで苦しんだことがないので、正直侮っていました。

本当に、のどは気をつけないとダメですね。

 

年末年始の出来事③

 

saadays.hatenablog.com

 

saadays.hatenablog.com

 

そうして、ついに短期バイトの面接が決まった私は、面接前日にセカンドハウスに帰ってきたわけですが・・・

まずは履歴書を書かないとということで。

本当はもうちょっと早く戻ってきて、カフェかどっかで書こうと思っていた。
家にテーブルと椅子がないので。

しかし思いのほか外がもう暗かったので、家で書くことにした。

一人用コタツを小さいテーブル代わりにしていたのだが、時間が経つとやはり脚(特に関節)が痛くなる。

しかも私はただでさえ履歴書を書くのが苦手なのだ。ケアレスミスが多いため、ちょっとした書き間違いうぃ繰り返してしまう。

結局昨日も履歴書1枚に2時間掛かってしまった。

 

その後、やっとのことで横になったのだが、しばらくしても関節や背中が痛む。

というかなんか額が熱い。

 

実は実家を発つこの日の朝、起きたら喉がめっちゃ痛かった。

というのも、その前日(月曜日)、眠れなくてほとんど寝ないまま朝になってしまっていた。

だからその分爆睡してしまい、口を開けて寝てしまったのだろうと思っていた。

でもいつもはすぐ治るのが、この日はずっと咳してて、念のため熱を測ったら、9度近くあった。

 

私は普段全く風邪を引かない。

子供の頃は熱が出ると「やったー、学校休める!」と喜ぶくらい、風邪をひかない。

それなのに、よりによって面接の前日に・・・

とりあえず一晩で下がることを信じ、できる限りのことをして寝たのだが・・・

 

あんまり眠れなかった。

でも、朝熱は少し下がっていた。

でも、まだ8度あり、身体は痛いし、喉も痛い。

行くか行かないか迷ったけど、幸い声も出るし、フラフラというほどでもなかったので、面接に行くことにした。

出る直前には7度台になっていて、体の痛みもなくなってきていた。

駅で栄養ドリンクとポカリを買い、栄養と水分を補給するようにした。

 

本当は、少しお酒を飲んで面接に行く予定だった。

その方がリラックスできるから。

でも、熱が出ておじゃんになってしまい。

 

しかし、着いた頃には不思議と咳も治まっていて、

面接もシフト希望を記入したのと軽い面接をして、その場で採用になった。

本当に質問2つくらいの10分くらいの面接だった。

明後日(金曜日)にまた同じ場所へ研修に行くことになった。

担当者の人たち、とっても温和で優しく、気さくだった。

いい人すぎて恐いくらいだ・・・。

コートとマフラー持って出ようとしたら、「いいですよ、ここで着て行ってください!寒いし、外で着るの大変でしょう」とか、

靴を履くときは、「荷物持ちますよ」と言ってくれたり・・・

思えば面接日のメールのやり取りから、すごく丁寧な人だった。

とにもかくにも、決まってよかった。

手応えなかったら、他のバイトも受けようと思っていた。

 

その後は、せっかく東京まで来たので、東京タワーと、あとずっと行きたかった「しろくまカフェ」に行って、自分なりのお祝いをした。

まず社会復帰への一歩を踏み出した、ご褒美である。

 

久々の仕事不安だけど、頑張るぞ~!

まずは明後日(金曜日)の研修だ。

明後日万全で臨めるよう、明日はゆっくり安静にします。

 

しろくまカフェ可愛かったな~。

今でもウキウキ。

明日気が向いたら書こうと思う。

年末年始の出来事②

年が明けました。

1日から4日はセカンドハウスで、駅伝とか色々正月番組観ながら過ごした。

駅伝での母校の頑張り、もちろん他の若人たちの頑張りを心から讃えたいと思いました。

あんな寒い中半そで短パンで走るなんて~、ひえ~。

小中学生の頃、周りがなんとなく半そで短パンで走る中、頑なにジャージで走ってた自分思い出した。(寒がりなので)

先生「ん?さーさんはジャージ脱がないの?」
さー「脱ぎません。脱がなきゃいけない決まりないし、評価1(5段階評価)になっても構いません。」
なぜ周りが勝手に脱いでるからって、私まで脱がなきゃいかんのか。そもそも真冬に半そで短パンって頭おかしいやん。
先生「えー、脱ごうよ~・・・」
(周りのジーっという視線)
さー「・・・」黙ってジャージ脱ぐ

こんなことを思い出しました。正月から駅伝頑張る大学生を前に。

そもそもマラソン冬っておかしいよね。秋か春じゃダメなのか。

私は走ると体中、特に太ももが痒くなるんです。特に冬。

だから、長距離走はそんなに苦手じゃなかったんですが、このかゆみが嫌で・・・冬のマラソンは地獄でした。

乾燥とかかなと思って毎日保湿も頑張ったんですが、全く効果なしでした。

今でもちょっと距離歩くと痒くてたまらなくなる。アレルギーか何かですかね。

 

5日に最後の失業保険認定日があったので、地元に帰りました。

その流れで、そのまま成田山へ初詣。

私の願いはいつもひとつ。

「心穏やかに、平穏に過ごせますように。」

もうね、いい会社にとか、お金が欲しいとか、○○が欲しいとか、なくなった。

幸せになりたいとすら思わん。そんなの贅沢。

ただ心穏やかに毎日平和に過ごせれば、もうそれで十分なのだ。

その欲がなくなったのが功を奏したのか、その後引いたおみくじで、大吉が出た。

「この上ない運勢」とまで書かれていた。

あと、参道でブラタモリかじゅん散歩でやっていた、お団子を食べた。

で、駅前に戻って、駅前の居酒屋で何杯か飲んだ。

24時間やってる居酒屋が、ついにこの田舎にもできたのだ。

 

それから昨日まで、実家の方にいました。

なんか、帰らなきゃいけない用事とかがないと、ズルズルと居てしまうんだよな。

で、帰る用事ができたので、昨日帰ってきたわけです。

それがなにかというと・・・

面接です!!

 

例の治験の連絡がいつまで経っても、何度メールで催促しても来ず、もう諦めたので、さっさと短期のバイト探しに切り替えました。

どうせなら、バレンタインのバイトしようと思って、探しはじめました。

その間に、今更「治験のお祈りメールが来て、完全にバレンタインバイトモードに。

色々な求人があったのですが、そこでたまたま「これだ!」と思う求人に出会ったんです。

私にしては珍しく、その場で即断しすぐに応募メールを送りました。

そしたらすぐに面接日の案内のメールが来て、希望等やりとりしてすぐに決まりました。

そして、セカンドハウスに戻ることになるのです。

 

旅行と新年会は出席することにしました。

今までちょこちょこ貯めた分と、バイトして稼いでどうにかなるだろうと。

この面接がもしダメでも、他受ければ何かしらできるだろうと。

最悪貯金でもなんとか・・・。

ということで、俄然モチベーション要因ができました。

年末年始の出来事①

だいぶ間が空きました。

元々飽き性でして、書くこともだんだんなくなってきますよね・・・無職で基本家にいるだけですし。

 

まぁでも色々ありましたよ。

年末

・大学時代のゼミの後輩に、先生といつものメンバーでの九州旅行の誘いを受ける。

→・普通に金がかかる

 ・私以外のメンバーが決まってからお誘いを受けた(元々私要らなかったんじゃ・・・)

後輩とやり取りして、2番目のはそんなことないって話だったのですが、やはり1番目の金が無職には大きいので、一旦保留した。

・別の後輩より、元々新年にやる予定が先生の都合で2月に延期になっていたゼミの新年会の日程が決定したと連絡が入る。

→・例の治験のスケジュールとかぶっていたので、「無理かも」と送るも、まだ結果が来ていないので年明けまた連絡すると回答。

大晦日は紅白歌合戦→ジャニーズのカウコン見て過ごしました。

Kinkiが紅白にいてカウコンにいないのって本当に不思議だった。

個人的に、なぜ紅組が勝利したのか謎だった。

白の方が見所多かったし、紅で印象的だったのって大竹しのぶくらいだったと思うが。

視聴者と会場のお客さんは白の圧勝だったのに、審査員の人たちは何をもって紅がいいと思ったのか、本当に謎である。

白組の見所:

・トップバッターや東京五輪音頭で盛り上げた関ジャニ
・Kinkiの初出場
東京五輪音頭の盛り上がり、桐谷健太と星野源の俳優2人が歌手の後ろで一生懸命盛り上げる頑張り
・今年話題になったパーフェクトヒューマン
・後半戦スタートを盛り上げ、しかも今年を象徴する曲のひとつになったラッドの「前前前世」
・初出場のイエモン
ゴジラを倒したX、しかも名曲の「紅」、しかも「紅だー!!」を「ゴジラ倒すぞー!!」
・今年流行った桐谷健太の「海の声」
・今年流行った星野源の恋ダン

これだけ見所があった白に対し、紅って圧巻だった大竹しのぶと、あと強いて言うならAKBの紅白選抜と、初出場の宇多田ヒカルくらいじゃね。

今までで一番謎の紅白だった気がする。なんだかんだ楽しかったけど。

 

思いのほか想いを熱く語って長くなってしまった。

年明けは次に。

おじいちゃんおばあちゃんたちはすごい

TBSの「さんまのご長寿グランプリ」という番組を観ていて、戦前から戦後を生き抜いてきたお年寄りは、私の想像もつかないほどのたくさんのものを見てきているのだと思った。

一言一句覚えているわけではないので、概要ですが・・・

「自分が見たことのある有名人」というインタビューでは、
岸信介(当時の首相で、安倍首相のおじいちゃん)のキャディをやっていた。気さくでいっつもニコニコしていた。偉い人には庶民にはない余裕があった。
・仕事で、GHQの司令官であるマッカーサーが降り立つところに居合わせた。何事もないように平然と降りていたように見えるが、実はドキドキしていたと聞いた。
・ジョンレノンとオノヨーコを見た

「はじめて見て驚いたもの」的なインタビューでは、
・戦後に外人が持ってきたコーラが超美味くて、親にも飲ませたくて思わず埼玉まで持って帰った
・チーズを初めて見たとき、石鹸だと思った。いいものもらったと思い、洗濯に使ったがもちろん汚れは取れなかった。
・洗濯機は活気的だった。中でも脱水が楽になり、もう冷たい思いしながら洗濯しなくていいんだと思った

など、とにかくなんかもう次元が違うのだ。

 

私がすごいと思ったのは、「過去の自分へのビデオメッセージを送る」という企画で、

・37歳で故郷の大阪を離れることになる自分へ。夫の家の都合で福岡に行くことになり落ち込んでるんやろ?でも、ラーメン明太子うどんなど飯は美味いし大丈夫。美味しいごはんがあれば、そこがふるさとになり、いまじゃ立派な福岡の女や!まっとるばい!
・酒のことで悩む昔の自分へ。仲間3人と毎日のように酒を浴びるように飲み、3人は肝硬変で若くして亡くなってしまい、恐くなって悩んでいるだろう。でも大丈夫だ、毎日飲んでもこうやって元気に生きてる。お前の肝臓はバケモノだ!
・親の遺伝でハゲるんじゃないかと不安な若い頃の自分へ。(帽子を取って)残念でしたー!でも、ハゲっていいんだよ!ある年を境に若い女の子が「可愛い」って言ってくれるよ!本当にハゲっていいんだよ!!じゃあな。

・18歳で大学受験する自分へ。東京都立大学早稲田大学を受験する。結果から伝える。
2浪して中央だ!

↑そしてこのおじいちゃんには、もう1本ビデオがある。24歳の頃の自分へあてたものだ。
・お前は顔が小さいハナちゃんに惚れていて、自分なんかがとハナちゃんにプロポーズするのを躊躇っているだろう。でもすぐ伝えろ。
・・・ハナちゃんは、2年後に病気で亡くなってしまうんだ。
ハナちゃんのようないい女はいない。だからずっと独身だ。
ハナちゃ~ん、愛してるよ~

1本目のおもしろビデオから、2本目まさかの純愛メッセージというね

でも50年もひとりの女の人を想い続けるなんてすごいよな。

というか、あの時代に大学いけるのも十分すごいよ、おじいちゃんww

 

でもこのおじいちゃん以上に私がぐっと来たのは、満州から生還したおじいちゃんのビデオレターです。

・おーい太郎ちゃ~ん(おじいちゃんの名前)!82歳になった俺だよ~!まだまだ元気だぞー!
まず、無事に日本の地を踏めてよかったな。本当に大変だったね。
満州では家族8人楽しく過ごしていたのに、日本が戦争に負けて、弟2人も亡くしてしまったね。
それでもお前は家族を励まし続けてくれたね。本当は自分も辛かったのにな。
(ここでアンジェラアキの曲が流れる)
日本に帰れたのは戦争が終わって1年後だったね。太郎ちゃ~ん、どうだ?お腹いっぱい食べてるか?
太郎ちゃんがあのとき、決して諦めることを諦めずに、踏ん張ってくれたおかげで、俺は今日まで生きていることができました。本当にいい人生でした。生きるっていいね、ありがと~う!(大きく手を振るおじいちゃん)

・・・次元が違いすぎる・・・

おじいちゃんが満州から日本に帰って来たのは、12歳の頃だそうです。

成長期にお腹いっぱい食べられず、兄弟もなくし、命がけで帰国し激動の時代を生き抜いたなんて、想像を絶する子供時代だったのだろう。

それでも今、穏やかに幸せそうに生きている。よかったね、おじいちゃん。

私の亡くなった大叔父と大叔母も満州から引き上げてきたと聞いたけど、このおじいちゃんよりずっと年上だからもう大人だっただろうし、子供もいなかったんだよな・・・

 

さすがに時代が違うので、このおじいちゃんと比べて「私の苦労なんて・・・」とは思わないが、

さすがに、「働かなきゃいけない人生を生きるのとか懲役刑だし、一生ニートでいいわ!金なくなったら死ぬからいいわ!」と言っていた自分は恥ずかしくなってきた・・・

戦争で苦しんだのはおじいちゃんのせいじゃないのにね。そんな理不尽な苦労を強いられてきたのに、「生きるっていいね!あのとき頑張ってくれてありがとう」と言えるのはすごい。

 

なんか、なにもしないのが恥ずかしいので、とりあえず久々にマイナビ見てみたよww

2月にある泊りがけの治験を申し込んでいるので、もしそれに当たったら3月あたりから本格的に動き始めようと思います。

それが当たらなければ年明けからですね。

 

もう28のおばさんだけど、自分の身の丈弁えて背伸びしない程度に頑張るわ。

今までの仕事がきっと、普通の人にできても自分にはレベルが高かったんだと思う。

周りが公務員だったり普通の会社や団体で仕事をしていて、自分もそれくらいできて当たり前だと思っていたけど、たぶん私はそのレベルに達していないのだと思う。

仕事は、受験や学校とは全然違うから。受験や勉強で可もなく不可もなくを維持していて、そこまで落ちぶれたことがないから、他の人と同じようにできると思っていたけど、

でもよくよく考えたら、勉強以外のことは、まるでダメだった。

何かを一生懸命頑張ったり、他の人と団結して何かをしたり、人と仲良くしたり、人を動かしたり、自分の意見を言ったり、そういうことができなかった。
ルールや規則に縛られることも苦手だった。
授業や人の話に集中するのも苦手で、よく別のこと考えたり、他のことをしたりもしていた。
学校でやるあらゆることに価値を見出すこともできず、最低限やって手抜きをしては注意された。

社会生活のレベルが、とにかく低い。そんな自分が人並みに仕事できるわけがないのだ。

 

今まで背伸びしていた。

これからは、自分のレベルに合っていて、かつライフワークバランスを守れるように仕事できればと思う。